昼飯の時間が苦痛という話

昼飯の時間が苦痛だ

 

昼飯を1人で食うのが苦痛なのではない

 

三人くらい、同僚がいたとしよう

 

誘うべきか誘わないべきか

考え始める

最初の頃は、一緒に飯行こうぜ!と誘っていた。

しかしあまり飯中に盛り上がらなかったりした結果、俺は段々苦痛を感じるようになった

 

なにか理由をつけて飯を食うのを断るようになっていった

 

その結果、今日は一緒に食うか、食うまいかという大変馬鹿馬鹿しい悩みを持つに至った。

 

本当にこんなことで気を揉んでいるのが馬鹿らしく、なにを気にしているんだと言いたくなる。

 

一緒に食いたいときは誘い、1人で食いたいときは誘わなければいい

 

だが、恐ろしいことに、俺は自分が、今同僚と食いたいかどうかさえ分からないのだ

 

なんとなく寂しい感じがする

でもまた盛り上がらなかったり、不快な思いをするのは嫌だなとか思い出し、よくわからなくなる

 

まぁしかし、何度も言うが、こんなことで悩んでいること自体が阿呆らしいのだ

 

なにか自分が惨めな感じがしてしまったわけだ

 

あいつコミュ障かよ、的な視線が怖い

 

その視線は、自分の中にあるものだ

 

客観的に考えてみよう

 

俺がもしカウンセラーで、同じ悩みをクライアントがしてきたらどう返答するか

 

あなたはどうしたいのか?

と問うだろう

 

落ち着いて楽しく飯が食いたいだけだと答える

 

同僚と飯を食うのも落ち着かないのですか?

 

そうです

と答える

 

一緒に飯が食えないから辛いのではなく

 

飯を食うか食わないかという思考の中で、同僚との関係性の悪さが浮かび上がってくるからだろうな

 

だから俺はもし、他のメンバーが仲良さげに飯に行き、自分が誘われなかったら傷つくのだ

 

会社の人間と信頼関係を作れていないことに傷ついているのだね

 

悲しいことだ