自責のモード

今日は早く起きて、睡眠時間が足りていないせいで、こんなに自責のモードに入っているんだろう

 

しかし、前職で多少寝てなかったからと言って自責のモードに入るなどなかった

 

マジで鬱病だよなぁ

 

こんなに辛い気持ちになりながら働いている理由とはなんだろうか

 

意味が分からないよなぁ

 

とにかく受け身かつ殴られモードみたいなやつに入っている

 

まぁ、無理に人と飯食わなくてよかったと思うけども、結局自責のモードで落ち着いて昼飯をくえないんじゃあしょうがない

 

結局誰かに受け入れてもらえたいという気持ちが全開過ぎる

だから受け入れてくれなそうなやつを全員拒否するという行動になる

 

ひどい話だねぇ

 

自分の理想を追わなければねぇ

 

カフェで少し寝るか

昼飯の時間が苦痛という話

昼飯の時間が苦痛だ

 

昼飯を1人で食うのが苦痛なのではない

 

三人くらい、同僚がいたとしよう

 

誘うべきか誘わないべきか

考え始める

最初の頃は、一緒に飯行こうぜ!と誘っていた。

しかしあまり飯中に盛り上がらなかったりした結果、俺は段々苦痛を感じるようになった

 

なにか理由をつけて飯を食うのを断るようになっていった

 

その結果、今日は一緒に食うか、食うまいかという大変馬鹿馬鹿しい悩みを持つに至った。

 

本当にこんなことで気を揉んでいるのが馬鹿らしく、なにを気にしているんだと言いたくなる。

 

一緒に食いたいときは誘い、1人で食いたいときは誘わなければいい

 

だが、恐ろしいことに、俺は自分が、今同僚と食いたいかどうかさえ分からないのだ

 

なんとなく寂しい感じがする

でもまた盛り上がらなかったり、不快な思いをするのは嫌だなとか思い出し、よくわからなくなる

 

まぁしかし、何度も言うが、こんなことで悩んでいること自体が阿呆らしいのだ

 

なにか自分が惨めな感じがしてしまったわけだ

 

あいつコミュ障かよ、的な視線が怖い

 

その視線は、自分の中にあるものだ

 

客観的に考えてみよう

 

俺がもしカウンセラーで、同じ悩みをクライアントがしてきたらどう返答するか

 

あなたはどうしたいのか?

と問うだろう

 

落ち着いて楽しく飯が食いたいだけだと答える

 

同僚と飯を食うのも落ち着かないのですか?

 

そうです

と答える

 

一緒に飯が食えないから辛いのではなく

 

飯を食うか食わないかという思考の中で、同僚との関係性の悪さが浮かび上がってくるからだろうな

 

だから俺はもし、他のメンバーが仲良さげに飯に行き、自分が誘われなかったら傷つくのだ

 

会社の人間と信頼関係を作れていないことに傷ついているのだね

 

悲しいことだ

 

 

理不尽

理不尽だなと思う

 

今いる場所に対して

俺の周りの人間に対して

 

今俺は電車の中にいるが

駅が近づくにつれて若干気分も悪くなりつつある

ふざけたやつら

ぶさけた会社

 

俺は裏切られた

思ったような仕事じゃなかった

ふざんけんじゃねえ、

言ってたことと違うじゃねぇか

雑用させてんじゃねえよカスが

 

仕事内容がゴミというかおれには合ってない

 

ふざけてる

 

おれを新人扱いするんじゃねぇ

おれ大事にしやがれ

おれにもっと裁量をよこせ

おれはもっとできるんだ

おれはお前らに負けないくらい仕事ができるはずなんだ

おれを仕事できないやつ扱いするんじゃねぇ

ぶさけんなゴミカスどもが

 

いい加減にしろ

おれの話を聞け

おれにかまえ

おれを大事にしろ

 

俺を専門家扱いしろ

 

俺を大事に扱え

おれに意見をこえ

 

調子がいい日

今日の朝は、行きたくない、もう何もかも嫌だという気持ちから解放されている。

わりといい気分で朝目覚めることができた。

重要なことなので、なぜ気分がいいか、その要素を、書いておこう。

もしかしたらただ気温的なものや日照などが要因かもしれないが、一応ね

 

1、寝る時間は関係ない

寝るときは恐らく一時を過ぎていたので、たっぷり寝たから気分がいいというわけではない

 

2、職場で楽しく話せた

その日は仕事は21時までやっていたが、帰る前に仲のいい人と話し、良い気分で帰社したこと

 

3、寝る前に友人と話しまくった

寝る前に、友達と2時間くらい喋った

大事なのは、そこで俺は自分が今感じている不安や怒りをブチまけることができたことだ

 

最初は大した話はしていなかったが、ラスト30分、自分の会社に対して、ふざんけんじゃねえ、いい加減にしやがれ!という愚痴を吐くことができた

 

体の奥に溜めていた怒りを発散してだいぶ気分が良くなった

 

職場の人間関係と怒りの発散

 

当たり前だが、大事だよね

 

とはいえ

ブログ療法だと思って朝書いているが、なんか違う

 

とにかく仕事に行きたくない

今の俺はそれが書きたい。つらい、つらい、苦しい

 

いくらブロガーぶって何か論を論じたところで、このしんどさ、つらさを吐き出さない限り満足しない

 

つらいし眠い

 

五日間をこれ以上ドブに捨てるような生活を送っていいのだろうか

 

さっさと仕事をやめればいいのに、なにをぐずくずしているんだ

 

恐ろしいのは、仕事をしているということだけで自分責めている自分がいるってやばいよな

 

仕事をしているだけで自分を責めている

 

お前は本当にやりたいことをやっているのか?と自分に槍をつきつけている

 

それももう疲れるよね

 

人からどう思われているのか

 

というより、人を通して自分が自分をどう思っているか

 

それだけだよね

 

地獄は頭の中にある

 

休日が何に使われているか

今の仕事になってから、休日をどう過ごすかをとてつもなく考える

 

なぜなら、平日5日が嫌な時間で形成されているからだ

 

つまり5日間マイナスのものが溜まっていく

 

そして、土日の2日でなんとかその溜まりに溜まったマイナスをプラスにするべく、遊びまくるようになった

 

でも最近、それもある種の虚しさを感じていてね

 

普通に遊んだり休んだりすればいいのに

 

五日間のマイナスを消すためという

 

つまり結局のところ仕事の状況が中心になって、土日の行動が規定されているのだ

 

もし、仕事が楽しくてしょうがなかったら、プラスとプラスですごく充実感を積むことができるだろう

 

でも、五日間大量に溜まったマイナスを、土日2日でなんとかプラマイゼロにしたとして、遊びつくしてやっとゼロだ

 

だから、土日にめちゃくちゃ遊びまくっても、どこか充実感がなかったり、満足感がたりなかったり

 

だから、仕事中の五日間のストレスを、できる限り和らげなければいけない

 

何度も言うが、五日間のマイナスを打ち消すためか、土日を使うのは本当に馬鹿げているということ

 

そう書いてしまうと

やはりさっさと仕事を辞めるべきという結論しか出ないわけで

で、最近俺も、もう半年も働いてないけど辞めてもよくね?

という考えになりつつある

 

どうにか工夫して、五日間のマイナスを減らそうとか人は思うわけだが

 

そもそも何も考えなくても楽しい職場だってきっとあるわけで

 

楽しさが見つからなかったら、早々に撤退することをすすめる

破滅的に仕事に行きたくない

三連休あったせいか、若干仕事に行きたくなさは軽減されている

 

それでも、60パーセントは仕事に行きたくない

気を抜けばとにかく仕事に行きたくない

 

今日気づいたんだが、朝、とにかく脳みそが動き出した瞬間から、会社に行きたくねーな、という感覚が出始めている。

 

そして若干の気分の悪さを引きづりながら二度寝する

 

つまり、もう自動的に脳が嫌な気分を反復しているということだ

俺の意思とは全く関係なく、会社に行きたくないという気分が勝手に反復されている

 

これは恐ろしいことだ

俺の意思とは関係なく勝手に感情が、思考がループしているのだから

 

これを考え始めると、会社に行きたくねーという思考すら、俺の意思とは関係ない無限ループなのではないかと思えてくる

 

では俺の意思はどこに行ったのか?

 

今朝、少し早く起きて、いつもよりゆっくり準備をした

 

ゆっくりお茶を飲んで、髭を剃り、髪の毛をセットして

 

ゆっくり準備をすると、朝のせかせかした時間が、ゆっくりできる時間に変わる

 

朝ゆっくりできる、朝からホッとする時間を作るというのは、1つ有効かもしれない

 

あと、やはり運動をしようと思えてきている

 

脳が勝手に思考や気分をループしているというなら、身体的なもので、なにか身体に訴えたほうがいいんじゃないかという気がしてきた。